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高崎地域協議会

高崎映画祭40周年記念応援企画(1) 〜高崎映画祭の始まりについて語ろう!『茂木正男、常見次郎と高崎の労働運動』〜
2026年7月30日

連合群馬高崎地域協議会は、来年に控えた高崎映画祭第40回記念に向けた応援企画として、7月29日に「〜高崎映画祭の始まりについて語ろう!『茂木正男、常見次郎と高崎の労働運動』〜」と題した座談会を開催いたしました。

当日は、かつての激しい労働運動の最前線で闘ったOBの皆様にお集まりいただき、知られざる映画祭の原点や当時の時代の空気を深く振り返りました。

 

1.激動の時代とそれぞれの原点

冒頭、伊能氏は高校時代の私服警官立ち入り問題を発端とする生徒会活動の経験を経

て電電公社に入社し、年齢的に青年会議の対象外となった茂木正雄氏が新たな生き方を求めて映画活動へと向かっていった背景を回想されました。

浅田氏は大学時代の学園紛争の混乱から国立コロニーに就職し、ストライキに伴う大量処分の中、高崎地区労働組合協議会の指導のもと過酷な闘争と物資販売を仲間と乗り越えた経験を語られました。

吉井氏は、自動車セールスから電電公社に入社して組合役員に引きずり込まれた当時を振り返り、前橋と高崎の労働運動の気質の格差や、高崎が三公社を中心とする権利闘争の盛んな地域であったことを述べられました。

蓑輪氏は、全電通の青年会議で茂木氏(議長)の下に副議長に任命され、会社次長室への突然の突入やビラ貼りといった過激で強烈な指導を受けた思い出をユーモラスに語られました。

水野氏は、1979年の入職以降、臨調・行革や人事院勧告の凍結に反対する自治労の闘いや市職での経験を通じ、自らの原点をたどられました。

 

2.中心人物たちの足跡と映画祭への移行

労働運動の主流から一線を引いた茂木氏が自主制作映画や映画鑑賞に自身の生きる道

を見いだし、会社側との関係性も変化していった過程が共有されました。また、茂木氏個人の動員によって音楽センターで行われた難解な外国映画などを強制的に見に行かされた経験が、結果として映画祭へとつながっていった実情も紹介されました。

さらに、過酷な裁判闘争の中で委員長の生活を支え、実務や調整を好んでこなしていた常見氏の姿や、労働運動の一環として映画祭を支えていた側面が指摘されました。

 

3.行政との連携と映画祭の実現

第1回高崎映画祭の開催にあたっては、茂木氏に連れられて市役所の企画課長であっ

た松橋氏のもとへ赴き企画を持ち込んだエピソードが披露されました。驚くべきスピードで当初予算への補助金計上や文化会館での開催へと結びついた背景には、絶妙なタイミングと行政側の深い理解がありました。さらに、当時の市長選における革新系候補の支援の裏話や、映画館での上映警備に動員されたエピソードなども語られました。

 

4.結びに

高崎という地域が他の地域に比べて政治や選挙、社会のあり方に対して関心を持つ人が圧倒的に多い都市気質を持っていることが確認されました。過酷な労使交渉や激動の労働運動をくぐり抜けた先人たちの泥臭いエネルギーこそが、「映画のまち・高崎」の豊かな文化土壌を切り拓いた最大の原動力であったことを確かめ合う、大変充実した企画となりました。